雨の日も晴れの日も、僕ら。

日々のあれこれを綴りながら、楽しく生きたい。 

愛について。

  

ちょっと前に誰かが

愛ってなんですか?と問うてるのをみて

答えがわからなかったけれど

でも、愛は愛だよって思っていました。

 

さっき、どこかのわびすけさんのところで

愛をみつけました。

 

自分が食べたくて作った料理を

子どもやパートナーが美味しい美味しいって

食べてくれたら、自分は食べてないのに

なんだか満足という気分になるのはなんでだろう?

というようなことが書いてありました。

 

それを読んで「それは愛だ」と思いました。

 

あたしもたとえば、食べたくて買ったケーキを

子どもが食べていい?って聞いてきたら

「いいよ」ってあげてしまう。

 

だけどそれがただの友だちとかだったら

「ええ、だめだよー。食べたくて買ったんだからー。」

って思う、きっと。

一口ぐらいはあげてもいいけど。

 

Kるんはよくあたしが買ったものを

「美味しそう!食べていい?」って言うので

あたしは「どうぞ」ってあげてしまうけど

 

それをみてMたんは

「どうして食べたくて買ったのにあげちゃうの?」

ってイライラするそうです。

おかーさんがかわいそうと思うらしい。

 

でも違う。

かわいそうじゃないの、全然。

 

食べたくて作った料理も

そもそも作り始めた時点では無意識かもしれないけど

自分だけのためじゃなくて

美味しいものを食べさせたいなーなんて

子どもやパートナーのことも想って作っているから

作っただけで満足して

「ほら、全部お食べよ」という気分に

なれるんじゃないかなー。

 

そういうときに

食べたかったのに食べられなかったぜコノヤロー!

とは思わないんじゃないかな。

 

でもたとえば、食べたいと思って

カップラーメンのような、簡単だし

その辺ですぐ買えるものを作ったとして

「よーし、食べよー。その前にお茶を・・」

なんて、冷たい麦茶でも注いでいる間に

 

ズカズカとどうでもいい友だちが遊びにやってきて

「あ、うまそう、食べていい?」

とか言って、一口で半分くらい食べちゃったら

「何やってんだコノヤロー、今から食べようと思って

楽しみにしてたのにー!キー―!!」

って思うね、きっと。

「オマエ、一口がでかいんだよ!」って

のちのちまで文句を言うかも。

  だけどまあまあ仲良しの友だちなら

  「もーっ」て言いながら、もう1個作ったりして

          結局許しちゃったら、それは愛かな。

 

しかしそれが

いつでも遊びにおいでよーなんて言って

可愛がっている後輩だったら

「何?お腹空いてるの?全部食べていいよ♡」

とか思っちゃって

みてるだけでお腹いっぱい。

 

愛だな―、それも愛だよー。

愛ってだから、よくわからないけど

与えてしまうものだ、きっと。

 

そして自分も与えられているのだろうけど

気付いてないかもしれないし

愛して、愛してって、こっちから欲しがるものでも

ないんだろうな。

 

やっぱり愛が何かなんて説明できない。

でも、何かをみて「愛だなー。」って

思うことはある。

 

何が愛なのかわからないのに

何かをみて「愛だなー。」って思うって

不思議だ。

おもしろい。

 

すきとか一生一緒にいたいとか

幸せにするとかしないとか

そういうことだけが愛じゃないってことは確か。