雨の日も晴れの日も、僕ら。

日々のあれこれを綴りながら、楽しく生きたい。 

『 噴水。』

 

     『 噴水。』

 

 

「前から約束してたあれ、明日だけど、どこ行こうか。」  

帰り道に先生が言ったから、明日も会えるんだと思い出して、少しうれしくなった。いつも土日は会えないから。 

「どこでもいいの?

「まあ、どこでもってわけにはいかないけど、行きたいとこ、あるの?」

「動物園。」

「動物園?なんで?」

「・・・。」 

先生は、少し歩いてから

「いいよ。行こう。朝から行って、昼ごはん食べて戻ってこようか。」

と言った。

「うん。」

「何が一番、見たい?」

「え?・・・、考えてない・・・。

「なんだよそれ。ほんとに行きたいの?」

先生はあきれたようにそう言って笑った。

先生と一緒にいられるなら、別にどこでもよかったのだけど、それは言わなかった。

 「考えといてな。全部は見られないから。」

「うん。」

 

家の前に着くと、明日は7時に来ると言いながら、右手を軽く振って、先生は来た道を戻っていった。この瞬間、いつも泣きそうになる。先生の背中が見えなくなるまで見送って、鍵を開けて家に入った。靴を脱いだらそのまま階段をあがり、2階の洗面所で手を洗ってから自分の部屋のドアを開けた。 

翌朝、7時になる2分前に部屋を出て、靴を履いてドアの鍵を回したとき、外側に人の気配を感じた。 

「おはよう。」

開け始めたドアの隙間から先生の声がして、それでまたちょっと泣きそうになった。

「おはようございます・・。

「なんだよ、テンション低いな・・。朝ごはん食べたか?」

「まだだけど・・。

「とちゅうでなんか買おう。」

 

駅までの道にコンビニがあって、先生が買っている間、外で待っていた。

「はい、これ。」

コンビニ袋から、水のペットボトルを差し出されたけど、手を出せない。

「いいんだよ。」

と言って先生は、僕の右手をつかんで、水のペットボトルを握らせた。

「ありがとうございます・・。

「うん。」

 

ホームのベンチでパンを食べ終わり、ペットボトルの水をちょっと飲んだら、ちょうど電車が来た。土曜日の朝は人が少ない。空いてる席に並んで座ると、先生が僕のリュックをぽんと叩いて聞いた。

「何を入れてきたの?」

上着と鉛筆とスケッチブック。」

「絵、描くの?」

「わかんない。

「何を見るか決めた?」

「いや・・。」

 

電車に40分ほど揺られ、バスに乗り換えてさらに40分ぐらい揺られただろうか。バスのなかで先生は居眠りをしていて、僕はただ流れる景色をずっと見ていた。着いたら何を見たいかを考えるのは、すっかり忘れていた。動物園に着いたのは、開園15分前だった。

「早く着いちゃったな・・。」

「うん。」

「あそこに座ってようか。」 

動物園の周りは公園になっていて、入り口の門に向かってまっすぐ伸びた広い道の両脇にベンチがいくつかあった。まだ準備中の屋台が、いくつか並んでいて、焼きそばと書いてある屋台の横の青いベンチを指さして先生が言った。ベンチに座ると、ひんやりと冷たくて、僕はなぜか急に帰りたくなった。

「先生・・・。」

「あ、俺、ちょっと、トイレ行ってくる。ここにいて。・・・行く?」

「・・行かない。

 

先生が動物園とは反対のほうへ歩いて行くのを目で追っていると、その先に大きな噴水があることに気が付いた。水は出ていない。僕はふいに噴水の近くに行ってみたくなって、まだ先生が戻ってきていないのにベンチを離れた。

《ここに来たこと、あるかもしれない・・》

噴水に向かってゆっくり走りながら、もやがかかったような何かの記憶が頭に広がるのを感じた。噴水の目の前で、リュックからスケッチブックと鉛筆を取り出して地面に座った。水が噴き出して、子どもの歓声が聴こえる。太陽の光がキラキラとまぶしくて、僕は今見ている全部を描き逃さないように、わくわくしながら鉛筆を走らせた。楽しくてジャンプしたいような気持ちがして、冷たい水に足を入れてジャブジャブさせたときの感触がくすぐったかった。どれぐらい時間が経ったのかは、わからない。

「ユウキ!!」

急に大声で名前を呼ばれて、耳がキーンとした。咄嗟にぎゅっと目をつむって、ゆっくり開けたときには、噴水の水も太陽のキラキラも何もかも消えていた。先生が僕の肩を揺さぶって言った。

「大丈夫か?ずっとここにいたの?入り口のほうまで行って探したんだよ。」

先生の声は荒くて髪の毛が乱れていて、ちょっと怖い顔だった。

「先生・・。」

先生は僕の手を取って引き寄せ、そのまま抱きしめると

「心配した・・・。」

と言ったきり、しばらく動かなかった。鉛筆が指の間から落ちたけど拾えなかった。

「ごめんなさい・・・。

こういうときは、謝るんだろうと思ってそう言った。僕は何をしたんだろう。さっきまでまばらだった人影も、動物園の開園時間が過ぎたのか、だいぶ増えてきていた。

「帰りたい・・・。

先生が僕を抱きしめたまま、しばらく何も言わないから、僕はどうしていいかわからなくなってそう言った。

「なん・・、動物園は?

先生は僕からゆっくり離れると、さっきより少し赤い目で僕を見て、優しい声で言った。

「もういい。帰りたい・・。

先生はちょっと笑って

「わかった、帰ろうか。」

と言いながら僕の頭に手を置いた。

 

帰りのバスも空いていた。 

「何か描いたの?見せて。」

僕が手に持ったままのスケッチブックを見て、先生が言った。

「噴水!」

僕はさっきの高揚した気分を少し思い出して、スケッチブックをめくった。先生に一番に見せようって思っていたんだ。

「ない・・・。」

めくってもめくっても、さっき描いたはずの水しぶきもキラキラも笑顔の子どもたちも、どこにも描かれていなかった。

「ない、ない、ない・・・・。」

何度も最初からページをめくり直す僕の手を、先生の大きい手が止めた。僕のなかに悲しい気持ちが広がって黒い穴があき、大きくて温かい先生の手の甲に、僕が思いっきり爪を立てたことでにじんでいく血の赤と重なった。先生は小さい声で痛いよって言いながら、反対の大きな手で僕の頭を引き寄せた。僕の目からは勝手に涙が流れて、先生のシャツの肩のあたりがちょっとだけぬれた。鉛筆を拾わなかったことを急に思い出して、取りに行きたいと言って先生を困らせた。(それについては、先生のペンケースのなかから、一番いい鉛筆をあげるからあきらめてと言われて、渋々あきらめた。)

 

僕の日常はいつも、あったのかなかったのかわからない奇妙な時間の連続だ。いったい、どこからどこまでが現実なのだろう。先生が毎日僕を迎えに来て、送ってくれて、それだけは本当だと信じたいけど、本当はそれもどうなのか・・。

 

 

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emily-ryu.hatenablog.com

 

このとき書き始めて寝かせてあったお話を

完成させることができたー。