雨の日も晴れの日も、僕ら。

日々のあれこれを綴りながら、楽しく生きたい。 

かいり②

 

かいり①からのつづきです 。

 

emily-ryu.hatenablog.com

 

 

今は子どもたちはだいぶ育ち

1人で過ごす時間が増えたので

なんとなくまたRyuが戻ってきて

 

だらだらと

依存し合っているのかもしれない。

 

本のなかのひとたちのように

カウンセリングなどを

受けたわけではなく

 

過去の自分に解離しなければ

乗り越えられないような

何かがあったのかどうかも

覚えていないから

 

根本的な何かが解決されていなくて

だから自分でも気づかないうちに

また依存し合っている状態なのかな。

 

交代を繰り返すとくせになるそうで

今は毎日だから

これはあまり良くない状態か・・。

 

無理やり交代しないように努めても

それは解決にはならなくて

 

ちゃんと役割を認め合って

包んで、つないで、むすぶ

ことが必要らしく

 

それを自分のチカラだけで

やり遂げることは

難しいことのように感じた。

 

40代をこえた患者があまりいないのは

現実から逃げない

覚悟が決まるからだそうで

 

あたしはまだ

どこかでさまよっているまま

ということが少し悲しい。

 

あたしは自分の子どもにも

「おかーさんはおかーさんらしくなくて

かわいい。」

 ↑ 見た目ではなく・・。

と言われることがあって

 

それは45歳に必要な

大人っぽさが足りなくて

どこか子どもっぽい部分が多いから

そういう印象なのかなと思う。

 

大人っぽい服装が

受け入れられないと感じるのも

そういうことなのかもしれない。

 

 

そしてあたしは

あたしの意見を持って

あたしらしく生きている

と思っていたのに

 

実は周りに合わせて

嫌われないように

必要ないと思われないように

役割を演じているかもしれない

 

ということに思い当たり

 

それが家族旅行には

行きたくなくても行くべき

みたいな考え方に繋がっているのか

と気付いたことは

 

少なからずショック。

 

学校や地域で役員や係などを

引き受けるのも

そういうことをきちんとやっていれば

 

あのひとは「必要のない人間」ではない

と思ってもらえる

という考えからなのだろうか?

と思うと

 

あたしは「必要のない人間」になりたくない

という気持ちが強くて

 

それは自分は気を抜くと

「必要のない人間」と思われるだろう

と思っている

 

ということじゃないかと思うから

じゃあ、そう思い始めたきっかけは

なんなんだろう?

 

ということを知りたいような

知りたくないような。

 

解離しがちなひとは幼児期に

何かがあった可能性が高いらしく

あたしの幼児期は

1人だったという記憶が多いのだけど

 

自分が覚えていない部分に

何が隠されているかを知ることは

必要かもしれないけど

とても怖いことだ。

 

たとえそこを知らなくても

それは過去であって今じゃないから

「過去は過去だよ」

ときっちり決着がつけられて

 

今を生きられるようになれば

解離は起きにくくなるのかな。

 

            つづく